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 Uコン少年 NO口くん

嗚呼 Uコン 夕日に向かって回れ!
速報!H師範 三連覇達成


画像提供 エアロパワーズ

2007年度 KMAコントロールライン競技全国大会
F2B曲技ノスタルジア
優 勝 者 : 原 譽祠
             
           V3の軌跡
  
2005年度: A.ノーブラ(ENYA SS35-リングS) 
   2006年度: G.ノーブラ(ENYA 40XZ-S PRO)  
   2007年度:  飛 燕 45(ST 46) 




画像提供パワーズジャパン

パイロットを中心とする半球状の限定空域に描き出すクイックな第1種フライトパターン。
高度1mの超低空での全開水平飛行、上空演技といってもわずか高度10数メートル!
そして、ワイヤーから伝わる激しいGと振動!
そう、20数年前私達が胸ときめかせ、いまも忘れる事の出来ないUコン

そもそも今回のUコン復活の発端となったのは エアロパワーズからのインフォメーション。
そこにはあの懐かしい名機 スタントマシンが、、、
子供の頃と違ってお小遣いを貯めなくてもすぐに買える!(^o^)  しかし逆に忙しい大人に製作時間は?、、、、、
日本Uコン界の岡田真澄こと元Uコン全日本チャンプ
原譽祠 選手設計のスタントマシーン

メーカーは木村社長のKMC

    スタントマシンとは ?

伝説のクラブ CHAC(茅ケ崎ホーカー飛行機クラブ)の秘密練習機 スーパーテキスト。

その原型は第16回関東Uコン大会をめざす原少年が完成を急いだ スクラッパー型スタント練習機 ブラックバードシリーズであるといわれる。
そしてCHAC会員を関東地区大会の上位に送り込むべく秘密裏のうちに行われたと言う伝説のトレーニング。
そこで用いられたのが原氏によるブラックバードの進化型、意味深なネーミングであるスーパーテキストであった。

組み立て、修理が簡単な安価な入門機であったスクラッパータイプ(注1)、原譽祠選手の手により、メリットはそのままに第1種フライトパターンを描く事のできる驚異の性能を与えられたスタントトレーナー、それがスーパーテキストである。
超一流のコンテストフライヤーであった原選手は後にスーパーハリケーン(注2)で広く知られるように一流の設計者としての頭角をも現して行くのである。

そしてスーパーテキストは秘密のベールを取り去りキット化される事となる、商品名「スタントマシン」の誕生である。
その後 バリエーションモデルとして ミニマシン、ヤングマシン、ミグマシンなどが登場している。


(注1) 角棒の先にエンジンマウントを付けただけの胴体を持つシンプルな入門練習機。
墜落時のダメージが少なく、修理も比較的容易であった。しかも安かったしキットを買わなくても容易に自作できた。
行橋地方では柿と猫とスクラッパーは金を出して買うものではないといわれていたらしい。

通常はエレベーターのみを持ち穏やかな飛行性能をもつ入門機であり、スタントマシーンのようなフラップ (Uコンの場合 着陸時に使用するフラップではなくエレベーターと連動するいわゆる空戦フラップ ) 付きは異色の存在であったように思う。
スクラッパーに対し、普通の胴体を持つ機体は「胴体機」、 胴体がぺったんこの機体は「プロフィール機」などと呼ばれた。
(注2) 三ツ星商店より発売されていたF2B競技用 スーパーハリケーン(35〜45)が有名であるが、その系譜は複雑多岐に渡る。
安定性と旋回性という相反する2大条件をどこまで兼ね備える事ができるか?
永遠の命題を追い求め、A, B 両シリーズに大別されるシリーズは試行錯誤しつつハリケーンジュニア、ハリケーン、ハリケーンテキストなどへ分流し 究極の全天候性能を追い求め、B タイプスーパーハリケーンへと収束してゆくのである。

この辺ははっきり言って複雑でよくわからないのであります^_^;  一度直々に伺ってみたいと思うのですが、全容を解明すると一冊の本になるに違いありません。  
参考文献  Uコン技術 (電波実験社)、模型飛行機理論と実際(木村先生著)、Uコン技術マニュアル(R.G.モルトン著)、
 我がUコンと青春の日々(0鶴兄 著)、スーパーハリケーン研究序説(K2F島 著)、CL日本選手権大会録、他
なんと全国の元Uコン少年からお便りが、、、
エンジンは当時を偲んでエンヤの15と行きたいところでもありますが、とりあえず店に在庫のあった15LA-S(なんとOSの新型Uコン用エンジン!)

キットとエンジン、全て並べてこのシンプルさ。
そうそう、昔と違ってキットには燃料タンクやタイヤまで入っています(*_*)


説明書はこの青焼図面だけ!どういう順番で作りなさいとか、ここはこういう接着剤を使いましょうとか、そういう事は一切明記されていません。

しかし当時の模型少年は購入する遥か以前よりUコン技術を熟読して基礎知識の習得に勤しんでおり製作に戸惑うような事は無かったのあります。

しかし、このスタントマシーンのキットは市販の復刻版キットではない
わははははははは(^o^) 驚いたか!
なんと 原譽祠 大先生のサイン入。組み立てが終わったら図面は額に入れて飾る事としよう。
    おお、懐かしいこの香り、、

バルサキット保存協会員の0鶴の兄ちゃんにとってはなんでもない事ですが、果たして今時、これをきちんと、そして臨機応変な創意工夫やアレンジを入れながら作る事が出来る子供がいるでしょうか?
今時の”ゆとり教育な小中学生”諸君を集めて作らせてあげたい気もします。
でもそんな事を言い出すとコンピューターゲーム亡国論とかそういう方向に行ってしまいそうなので止めておきましょう。
バルサとナイフが友達だった年代で本当によかった(^_^)



しかし、ぼくらの子供の頃は模型ばっかり作ってたのにちゃんと地元の進学校のM高校にも苦労せずに入れたりしたのは時代が良かったんですかね?


いやいや、それはわしらが頭良かったのじゃ(笑)

という事にしておきましょう(笑)
やっぱりこりゃ、フィルムじゃなくて紙張りかなこれは?

おおお、じゃあタルクで目止め?
ところでタルクってなんだったんですかい?。現物見たこと無いなあ。
天花粉って言っても今の子供には解からないか(笑)、いわゆるシッカロールで代用してたよね。

うーん、タルカムパウダーっていうんだけど確かに田舎では売ってるの見たことなかったなあ。
ところで家に天花粉あるか?


いやあ、もう子供大きいし 無いんじゃないかなあ、、、買ってこなきゃ。
ついでにお風呂上りにパフパフするかな(笑)

紙張りに布ヒンジか、いいなあ。しかし目が回るだろうなあ、、、
最初に飛ばすのは言い出しっぺの君であるぞ。


OK,OK ! 私に任せなさいって。
燃料少ししか入れなきゃ大丈夫ですよ。


あ、忘れてるな!Uコンの5角形真鍮タンクは遠心力でアウト側に燃料追いやるようになってるだろ。
最低でも半分以上入れなきゃ駄目なんだよ!

あ、そうかあ、、、でもナイフエッジ状態でエンジンかければ、、、、
離陸前に水平にすると止まるから駄目か(-_-;)
今日からぐるぐる回って鍛えておきますです。
などと二人で盛り上がりながら製作へ突入です。
重要注意! 
雷と高圧線には厳重注意!雷は遠くで鳴っているだけで感電、高圧線には触れなくても近づくだけで感電死します('_')
すっかり忘れてますよね(ーー;) 直撃すると確実にご臨終ですので心しておきましょう。


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製作中

まだまだ先 ^_^;

O鶴の兄ちゃんのなんちゃって2種

Uコン通販のページなど作ってみました(^o^)丿

1960年前後に生まれた模型少年の憧れ、そしてその当時の現実的な最終目標!それがUコン飛行機。

小学校低学年の頃、校庭や稲刈りの終わった田んぼから響くグローエンジン(マフラー無し(-_-;) )の排気音。
なかなかエンジンがかからなくて、飛ばないまま日が暮れることもあったけど、ただ眺めているだけでも胸がときめいた。
今は無き 「Uコン技術」を毎月ぼろぼろになるまで読み返し、商品知識だけなら模型屋のおじさんより詳しくなった。
でも、当時の良識ある模型屋のおじさんは「坊やたちだけではまだちょっと無理だね。もう少し大きくなったらね」と、ちゃんと適切なアドバイスをしてくれたのであった。

今時の子供ならこれであきらめてそのうち忘れてしまうか、お母さんやお父さん同伴で強引に購入するかもしれない。
ところが、当時の模型少年はきちんと分別をわきまえ、しかも根気強く執念深かった。
来るべき Uコン 入門の日に備えて、手製の
Uコンシミュレーター(注1)にてぐるぐる回ってトレーニングに励んだのである。

そしてエンジンや木村模型のキットを買う資金を貯めるために買い食いや無駄遣いをやめたのはいうまでもない。


(注1) またの名を”Uコン養成ギブス”   廃材を利用して作った動力無しのUコン機。
要は簡単なソリッドモデルに紐をつけてぐるぐる振り回していたわけです。
しかし、これはこれでだんだん高度化し、機体も廃材からバルサ製となり、しまいにはフラップ、エレベーターもちゃんと可動して2本ラインで一応舵が効いたりした。
海外では更に長い竿を使って長いラインを振り回す ”グライダーUコン” とでも言うべきジャンルもあったと知ったのは随分後のことであった。
あのころ0鶴の兄ちゃんと知り合わなければ今ごろはグライダーUコンのパイオニアとして日本模型界の重鎮になっていたかもしれない(-_-;)

遊んでいてもエンジン音が聞こえると東西南北何処へでも自転車で駆けつけ、日が落ちるまで見学(^.^)
しかし、今時のラジコンカーなどとは違って当時のキットは誰でも簡単に組める訳ではなく、エンジンも簡単にかかる物では無かった。
そう、ヘタクソではエンジンすらまともに回ってくれない敷居の高いものだったのである。

そこで知り合った ”上手なお兄ちゃん達 ” そのなかでも0鶴の兄ちゃんはエース級だったのであった。
 

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